浅草サンバとは

浅草といえば・・・どんなイメージがありますか?
やはり「江戸下町情緒」というイメージが強いのでは?
確かにそうした伝統的な側面も強いのですが、
実は、大の新しもの好き!なのが浅草ッ子の気質でもあります。
明治時代には日本最初の映画館、
日本で初めてエレベーターを取り付けた12階建ての赤レンガビル「凌雲閣」、
水族館、
サーカス、
浅草にはほかの町にはない新しい文化をどんどん吸収。
生活の中に取り入れてきました。
大正時代になると「大正オペラ」や「安来節」で賑わい、
幅広いジャンルの音楽劇を生み出してきたのも事実。
歌って、踊って、楽しむサンバカーニバルと浅草の結びつきはすでにこの頃からあったというわけです。

こうしたバッククラウンドがあるわけですが、
昭和30年代後半から40年にかけ、盛り場の中心は他の地区に移っていきました。
こうした状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、
浅草の新しいイメージをつくろうと、
ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りに取り入れることを提案。
これをきっかけに浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生しました。
さらに浅草観光連盟もカーニバル推進協議会に参画。
浅草サンバカーニバルは東京下町の夏を代表するお祭りのひとつに成長。
現在では出場チームも全国区となり、
サンバの本場:ブラジルの人たちからも高い評価をいただくようになりました。
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